建学の精神・教育理念
自然を愛し、生命を尊び、真理を究める人間の形成
北陸大学の創設者は、吉田茂内閣の国務大臣であった林屋亀次郎である。林屋は戦後日本の復興と発展に力を尽くすとともに、郷土石川県政財界の重鎮としての地位を築いた。満88歳になってもその情熱は衰えず、経済復興を為し得た我が国に真に必要なものは、「報恩感謝の念に基づき、真理と正義を愛する個性豊かな人間の育成である」との信念から、北陸大学の開学に力のすべてを注いだ。
金沢における教育の淵源は五代加賀藩主前田綱紀にあり、綱紀の遺徳を偲び人々は謚号(おくり名)を「松雲公」として慶した。松雲公は民心に心を砕き様々な施策を行った。特に、学問の奨励により加賀藩を天下の書府と言わしめたのは松雲公の功績に他ならず、この史実を基に、松雲公を拝して昭和50(1975)年に学校法人「松雲学園」として開学し(昭和60年(1985)年に現在の学校法人北陸大学に変更)、松雲公の「自然を愛し、生命を畏敬する」精神を体して、本学の「建学の精神・教育理念」が生まれた。また、校歌にもこの精神と理念が謳われている。
使命・目的
健康社会の実現
北陸大学開学式(昭和50(1975)年11月)において、初代林屋亀次郎理事長は「人類の文化の躍進と福祉の向上に貢献する」とし、初代三浦孝次学長は「本学は、総合大学として発展するものであり、(中略) 国民の健康に奉仕する目的をもつ」とした。身体の健康のみならず、精神の健康、健全な生活を営むことのできる社会の健康、つまり、建学の精神にも宿る「健康社会の実現」が本学の使命・目的である。
校章・校旗
北陸大学の校章は、学校法人松雲学園(現学校法人北陸大学)の「松」と、創設者・初代理事長林屋亀次郎邸(現北陸大学教養別館)の「五人扶持の松」を想定し、五代藩主前田松雲公の「松」の意をも含め、大学のとこしえの発展を祈念して松葉菱紋形が取り入れられている。スクールカラーは松にちなみ「深緑」としている。
校歌
作詞 井上 靖 / 作曲 石桁真礼生