北陸大学同窓会 ロングインタビュー

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「好き」を仕事にしたからこそ
細く長く続けていきたい
フリーアナウンサー
三浦 ちあき
「好き」を仕事にしたからこそ
細く長く続けていきたい
フリーアナウンサー
三浦 ちあき
富山県出身。北陸大学法学部政治学科卒業。2003年に日本テレビ系列の北日本放送に入社。アナウンサーとしてローカルニュース番組内のスポーツコーナーを10年間担当。2013年3月に同社を退社しフリーアナウンサーに転向。以降、エフエム石川、和歌山放送ラジオのパーソナリティを務めるなど国内各地でキャリアを積む。現在は近畿を拠点に記者兼アナウンサー、ラジオパーソナリティとして活躍。
テレビやラジオ番組に出演し、視聴者にさまざまな情報を届けるアナウンサー。華やかなイメージが強い職業ですが、見えないところでは地道な努力や苦労があります。北陸大学を卒業後、地元富山の北日本放送で10年間アナウンサーとして勤務し、現在はフリーで活躍する三浦ちあきさんに、これまでのキャリアと仕事観をお聞きしました。
マスメディアを通じ声と言葉で情報を伝えるアナウンサーは、社会的な影響力が大きい専門職であり、憧れる人が多い職業でもあります。三浦さんは、アナウンサーになるという夢はいつ頃からお持ちだったのですか。
小さい頃から漠然と「マスコミで働いてみたい」「アナウンサーという仕事は楽しそうだな」と思っていたのですが、本格的に職業にしたいと思ったのは北陸大学に入学してからです。富山で国民体育大会(2000年とやま国体)が開催された際、ボランティアで運営のお手伝いをしたのですが、地元テレビ局のアナウンサーや記者がきびきびと立ち働く姿に惹かれたんです。スポーツが好きということもあり、スポーツの楽しさ、熱さを伝えることを仕事にしたいと思いました。その後、学業の傍ら話し方スクールに通ってアナウンス技術の基礎を身につけました。
「スポーツが好き」から、
アナウンサーを目指す
スポーツが好きということですが、三浦さんは大学時代、陸上部で活動されていました。
陸上は中学校からずっと続けていたんです。 北陸大学の陸上部は、大会に出場して良い成績を出すのもいいけれど、それよりみんなでわいわいやろうという雰囲気で楽しかったですね。競技としては4×400mリレーや800m、それから駅伝にも出ました。 自分が走る以外にも、サッカーや野球の試合を観戦することも好きでしたし、新聞は毎日スポーツ欄を読み込んでいました。
アナウンサーを目指す就職活動というと全国行脚する方も少なくありません。就活はどのように取り組んだのですか。
私はアナウンサーにはなりたいけれど、全国各地どこでもいいというわけではなく、できれば地元で働きたいと考えていました。ですので就活でエントリーシートを出したのは地元テレビ局、ラジオ局を含め3社のみでした。ただ蓋を開けてみると、アナウンサーになりたい全国の学生が集まるわけですから、厳しい現実がありました。一社は最終選考まで進んだものの結果としては夢破れ、マスコミ業界とは別の業界で営業として働くことになりました。
それでも諦めなかった?
そうですね。働きながらアナウンサースクールに通い、営業車を運転している間はずっと地元のラジオを聞いていました。そんなとき、偶然というか、いつも聞いていたので必然ではあるのですが、「テレビ局の契約アナウンサーを募集します」という案内がラジオで流れたんです。富山県でラジオ放送とテレビ放送を行う北日本放送局です。「地元の北日本放送に採用されなかったらどこも無理だろう。これが最後のチャンスだ」と覚悟を決めて再チャレンジし、採用が決まりました。社会人2年目の6月のことです。新卒のときと違って肩の力を抜いて受けに行ったことが良かったのかもしれません。また後日聞いたところによれば、実はスポーツが好きなアナウンサーを探していたという背景があって、そこに私がピッタリはまったようです。
三浦さん自身にご縁を引き寄せ、チャンスをつかむ力があったんですね。北日本放送ではどんな番組、コーナーを担当されたのですか。
入社してすぐ、夕方6時台のローカルニュース番組のスポーツコーナーを担当しました。スポーツで活躍するまちの元気なちびっ子から、オリンピック金メダリスト、ワールドカップ出場選手まで、幅広いアスリートにインタビューしました。取り上げる競技も、野球、サッカー、バスケ、水泳などさまざま。スポーツ好きという自分の強みを活かして、入社から退社するまでの10年間ずっとこのコーナーを担当しました。これほど長くやった人は他にいないと思います。担当して3年目くらいからは、私の存在がお茶の間に浸透してきたのか、学生時代の知人からも「見たよ」「出てたね」といった連絡が増えましたね。
「見える仕事」の裏側にある「見えない仕事」に奔走
思い描いていた仕事に携わることができたのですね。
そうではあるのですが、思い描いていた以上のこともありました。当初私はアナウンサーの仕事といえば、スタジオに登場し、ディレクターや記者が用意した原稿を読む、という単純なイメージして持っていませんでした。しかし実際には、地方放送局のアナウンサーの仕事は多岐にわたります。自分でネタを探し、アポを取り、現場に足を運んで取材し、局に戻って原稿を作成し、編集作業に立ち合い、最後の最後に番組に出演します。割合でいえば、話す仕事が1割で、それ以外の仕事が9割。いろんな業務を覚えなければならないということで、最初の1~2年は本当に大変でした。
舞台裏には地道な努力があるのですね。北日本放送に10年勤務した後、フリーアナウンサーに転向した経緯を教えてください。
金沢で仕事をしていた夫と結婚するために退社してフリーに転向したかたちです。夫は転勤族なので、以降は金沢に1年、和歌山に8年、3カ月のドバイ滞在を経て2022年4月からは京都と、各地を転々としつつ仕事を続けています。現在は京都府内の放送局で記者兼アナウンサーを務めています。取材・原稿作成を含めてアナウンサーの仕事をしてきた北日本放送での10年間が役立っています。
夢をかなえる力、続ける力
ライフステージや環境が変化してもアナウンサー業を継続されています。やはりこの仕事は三浦さんにとって天職なのでしょうか。
実は京都に来てから、本業とは関係のない単発のアルバイトをいくつかやってみたんです。そこで分かったのは、私はやはり他の仕事ではモチベーションを保てないということ。天職かどうかは分かりませんが、大変なことがあっても頑張ろうと思える仕事、やりがいを持って取り組める仕事は、アナウンサーしかないと分かりました。
今後やってみたい仕事や目標についてはいかがですか。
自分の中では「これをやりたい!」ということより、派手さはなくていいので、細く長く仕事を続けていきたいという気持ちが大きいです。先のことを考えると不安になったり、つらくなったりしますよね。それよりも毎日、ミスなく、地道にコツコツと取り組んでいくことを大切にしています。その先に、きっと未来も明るくなるはず!
個人的な夢は、世界一周旅行に出かけていろんな国の人と話すことです。そのために最近、英会話教室に通い始めました。
「北陸の雄」の誇りを
胸に刻んで
夢をかなえ、継続する努力を惜しまない三浦さんの姿は、今母校で学ぶ学生に大きな刺激になると思います。後輩へのエールをいただけますか。
北陸大学は想像以上に全国から学生が集まってくる環境です。自分の経験からいえば、さまざまなバックグラウンドを持つ人と交流することで、文化風習の違いや言葉の違いにふれ、視野が広がりました。今はSNSで簡単で交流ができる時代で、私も仲の良い同級生とはLINEグループでやりとりしていますが、それ以前にリアルに交流を深め、いろんな話しをしたことで得たものが大きいです。
もうひとつ、私は海外滞在を通じて、礼儀正しさや他者への思いやりなど日本の文化のすばらしさを再確認しました。日本の伝統文化が色濃く残る金沢で学生時代を過ごせることも、北陸大学で学ぶ魅力のひとつではないでしょうか。
高校時代、担任の先生が「北陸大学は北陸の雄だ」とおっしゃっていたことが印象に残っています。大学も、今母校で学ぶ後輩のみなさんも、そうした評価を得ている大学なんだという誇りを忘れずにいてほしいと思います。
(2023年5月26日取材)