北陸大学同窓会 ロングインタビュー

8
薬剤師の本質的な役割を追求し、
発信することをライフワークに
社会福祉法人恩賜財団済生会支部
大阪府済生会中津病院 薬剤部長
萱野 勇一郎
薬剤師の本質的な
役割を追求し、
発信することを
ライフワークに
社会福祉法人恩賜財団済生会支部
大阪府済生会中津病院 薬剤部長
萱野 勇一郎
愛知県名古屋市出身
1992年3月 北陸大学 薬学部 卒業
1997年3月 北陸大学大学院薬学研究科 博士課程 修了(学位授与)
1997年4月 金沢大学医学部附属病院 薬剤部 研修生
1997年8月 金沢大学医学部附属病院 薬剤部 非常勤薬剤師
1998年4月 福井医科大学(現 福井大学)医学部附属病院 薬剤部 薬剤師
2007年2月 富山大学 大学院医学薬学研究部 助教
2009年2月 福井大学医学部附属病院 薬剤部 復帰
2013年5月 京都大学医学部附属病院 薬剤部 副薬剤部長
2015年9月 社会福祉法人 恩賜財団済生会支部 大阪府済生会中津病院 薬剤部長
現在に至る

<社会活動>
日本病院薬剤師会 医療政策部会、地域医療委員
重篤副作用疾患別対応マニュアル 改訂メンバー
大阪府病院薬剤師会 代議員
全国済生会病院薬剤師会 監事
北陸大学大学院薬学研究科博士課程を修了し、病院薬剤師として、研究者として、教員として、豊かなキャリアを重ねてきた萱野勇一郎氏。現在は大阪府済生会中津病院の薬剤部長を務める傍ら、薬学部同窓会「薬友会」の副会長として、学びの場としての母校の魅力や、これから求められる薬剤師の姿の発信に力を尽くしています。
萱野さんは名古屋市出身で、大学院を含め9年間を北陸大学で学びました。金沢というまちや学生生活で、どんなことが思い出に残っていますか。
石川県金沢市がどんなところかよく知らないまま北陸大学に入学したのですが、キャンパス周辺は思っていた以上に自然豊かな環境でした。

楽しい思い出として残っているのは、学生寮での生活です。私は一年目は松雲会館に入ったのですが、全国各地からやってきた同級生との共同生活はとても新鮮でした。

大学では、演劇部、学友会、学園祭実行委員会など、課外活動に積極的に関わりました。演劇は高校時代にやっており、北陸大学でもやろうと、先輩と一緒に演劇部を立ち上げました。毎年に2~3回公演をし、演出も担当することもありましたし、役者もすれば、演出や裏方の舞台監督もしました。

ユニークなエピソードとしては、大学の駐車場有料化にともない、近隣の農家の方に声をかけて「田んぼや畑を駐車場にしてください」とお願いしに回ったことがありました。そういう学生だったので、学生同士はもちろん、先生や職員の方とも仲良くさせてもらっていましたね。
薬剤師としての
付加価値を求めて
大学院に進学
薬学部を卒業後、大学院に進学した理由を教えてください。
衛生化学教室の山本郁男先生に声をかけてもらったことがきっかけです。薬学部の4年間だけでは、国家試験の勉強に時間のほとんどを費やします。もともと、4年間の学部学生では面白くない、研究手法を学んで、薬剤師として付加価値をつけたいという思いがあり、進学を決めました。修士課程、博士課程の間は、基礎研究、特に薬理学、毒性学が中心でした。動物実験、遺伝子クローニングの研究もさせてもらいました。
薬剤師としての付加価値という点ですが、実際、博士号を持っていることで、どんなアドバンテージがありましたか。
大学院を出た後は、金沢大学医学部附属病院に勤務しました。正直にいえば、「大学院を出て病院薬剤師か」という気持ちもありました。しかし当時は博士号を取って病院薬剤師として勤務する人は少なく、その希少性が後々役に立つだろうとも言われました。

実際、薬剤部長にキャリアアップする際は学位が必要になります。一般的には働きながら学位を取得する方が多いのですが、これは非常に大変なことです。私自身は北陸大学で博士号を目指し研究に専念することができました。当時はとても大変でしたが、今振り返れば、幸せな、そして贅沢な時間でしたね。
「チャンスがあれば
どんどん外に」
の精神で前進を続ける
金大附属病院に在籍したのは1年間で、その後は福井、富山、京都の大学病院で勤務し、2015年から現在の大阪府済生会中津病院にされています。萱野さんのキャリアパスについて詳しく教えてください。
金大附属病院時代、金沢市内で開催されたある勉強会で、大学院で学んだ研究成果や、当時話題となっていた薬物相互作用に関する知識や経験を発表する機会がありました。そのとき参加していた福井大学医学部附属病院の先生が私の発表に興味を持ってくれたことが、福井大学への異動のきっかけになりました。福井県には薬学部がありません。そのため、福井大学附属病院は全国から職員が集まっている、多様性のある環境なんです。

福井時代、博士号を持っていることが奏功し、京都大学医学部附属病院の職員として半年間学ぶ機会がありました。ここでお世話になった先生が富山大学に異動したことから、私も2年間、富山大学の助教として薬学生を指導しました。薬剤師教育の大切さを痛感して福井に戻り、その後、石川、福井、富山で活躍しているところを認められて、京都大学医学部附属病院薬剤部の副薬剤部長に就任しました。現在の大阪府済生会中津病院は京大病院の関連病院です。
さまざまな場で、人のつながりを大切にしながら、確実にキャリアアップされたのですね。
福井時代、上司に「大学病院で働ける薬剤師は全国では1500人前後。ポストには限りがある。経験と実績を積んで、チャンスがあればどんどん外に行くべきだ」と言われたことがあります。その言葉が胸に刺さり、私も外に出る(大学病院を退職し、市中病院などで活躍する)チャンスがあれば出よう、後輩へポジションを譲ろうという姿勢で、常に新しいことを学んでいました。それが結果的に自分のキャリアアップにつながったかたちです。
地域のクリニックや
保険薬局とともに
都市型の医療連携を実践
現在勤務していらっしゃる中津病院について教えてください。
大阪府済生会中津病院は、JR大阪駅・阪急梅田駅から徒歩6分のところにある、病床670床、30の診療科を有する地域の基幹病院です。2016年に100周年を迎えた歴史ある病院でもあり、大阪市民に慕われています。これほど交通の便の良い立地にこれだけの規模の病院がある例は全国的にも珍しく、都市型の総合病院として、大阪府内の地域連携、都市型医療連携の事例を提案しながら、地域医療を支えています。

当院を訪れる患者さんの多くは地域の開業医からの紹介ですから、開業医の先生が安心して紹介できる病院でありたいと思っています。薬剤部に関していえば、患者さんが飲んでいる薬の情報を開業医から漏れなく受け取ること。患者さんが入院し、手術が終わって退院した後は、変更になった薬の情報を開業医、あるいは地域のかかりつけ薬局薬剤師に、間違いなく伝えること。そうしたことを大切にしています。
学生時代に学んだ
他人を気遣う力、
社会を生き抜く力
あらためてですが、学生時代の学びで今に繋がっていることはどんなことでしょうか。
実務の面では、バイオ医薬品の選定や臨床試験のデータ評価、副作用マネジメントといった場面で、大学院で学んだことが活かされています。

薬学の知識面に限らず、学生時代の経験のすべてが今に活かされているという実感があります。

学生寮の話題に戻りますが、北陸大学は郊外の立地ならではの不便があります。みんなで協力しなければ生活できませんし、自然に交渉能力やコミュニケーション力が鍛えられます。こうした経験から、薬剤師として他人を気遣う力、社会を生き抜く力を学んだ気がします。

これは薬友会の役員としての希望ですが、北陸大学の卒業生の皆さんには「北陸大学で過ごしたあの時間があってこそ今がある」ということを、思い起こしていただければ嬉しいですね。
労働人口の減少が社会課題になっています。薬剤師の業務もAIへの移行が進み、2040年を焦点に、薬剤師の働き方が変わるとも言われています。これからの時代に求められる薬剤師の姿について、どうお考えですか。
医療の担い手が少なくなるという点では、地域での協力体制の構築がますます大事になります。石川県民はオープンなコミュニケーションが苦手と言われていますが、それでは困ります。薬剤師として学んだことを表に出していく、アウトプットしていくことで、地域医療の中で存在感を発揮できます。学生の頃から、学んだことを後輩や高校生に教えたり、地域住民に伝えたりといった経験をしておくといいのではないでしょうか。

薬剤師の業務がAIに置き換わるか、という点については、繰り返しの延長線上にある、業務のみでは、仕事はなくなっていくでしょうし、多少の知識だけでは職業としての薬剤師は成り立たなくなるでしょう。でも、たとえば、フロッピーディスクは今はほとんど誰も使いませんが、記録媒体は目覚ましく進化しています。馬車はなくなりましたが、移動をやめる人はいません。本質的な目的は残っていて、それを達成するための手段が変化しているだけです。これからの時代、そうした視点で、薬剤師が担うべき本質的な仕事について考えることが重要です。

薬剤業務でAIを活用する場面は増えるでしょうが、AIが回答する内容について、正しい情報なのか、どこがあいまいなのかを判別できる力は必要です。また目の前の患者さんの様子が昨日と今日でどう変わったかといった変化を読み取り、対応するコミュニケーションは、人間の仕事として残っていくと思います。
薬剤師の
本質的業務とは何か
萱野さんの仕事や人生における夢を教えてください。
薬学は興味深い学問です。医学は専門分野が細かく分かれていて、たとえば内科の先生は外科を担当することはありません。しかし薬剤師は内科の調剤も外科の調剤もしますし、あらゆる分野をすべて診ます。医療を俯瞰的に見る力がある、トータルに見る力があるのが薬剤師です。こうしたことを理解できる薬剤師を育成し、薬剤師の大切さを国民に広く伝えることが私のライフワークです。
北陸大学に期待することを教えてください。
北陸大学の温かな校風は、周囲に気遣いができ、また周囲から信頼される人材を育て、世に送り出しています。企業や団体、研究機関の要職を務め、活躍している卒業生は少なくありません。これは北陸大学が50年という長い歴史の中で、人材の育成という重要な役割を果たしてきたことの証です。

私自身も講演などで略歴を紹介する際は、必ず「北陸大学卒業」と伝えています。それだけでも大学の宣伝になりますし、卒業生が頑張る姿が、母校の後輩にとってひとつのモチベーションになるのではとも思っています。

北陸大学には今後、卒業生や地域住民のリスキリングに繋がる取り組みなど、石川県の社会インフラとしての役割を発揮することに期待しています。
卒業生の活躍が
母校の後輩の
モチベーションに
北陸大学で学ぶ後輩に向けてのメッセージをお願いします。
金沢という自然に恵まれた地域で学べたことは、私の人生にとってとても有意義でした。同じあの場所で、後輩にものびのびと成長してほしいと思います。後輩の皆さんには「いろんな経験して、どんどん失敗しなさい」というエールを送ります。そのすべてが社会人になってから活きてきます。自分の好きなこと、興味のあることを見つけ、そして国家試験に向けて頑張りましょう。
(2023年2月20日取材)