北陸大学同窓会 ロングインタビュー

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地域に愛されるチームを育て
卓球を通じて石川を元気にしたい
株式会社清水スポーツ 代表取締役
金沢ポート株式会社 代表取締役
西東 輝
地域に愛される
チームを育て
卓球を通じて
石川を元気にしたい
株式会社清水スポーツ 代表取締役
金沢ポート株式会社 代表取締役
西東 輝
北海道北見市出身。実践学園中学から遊学館高校へ。 2012年4月北陸大学未来創造学部に編入し、在籍時にインカレ個人の部(全日学)ダブルスで3位に入賞。卒業後は函館大学付属有斗高校で卓球部を指導。2017年より金沢市の卓球専門店・清水スポーツに勤務。北陸大学卓球部ヘッドコーチ、清水スポーツの主宰する卓球クラブ「エンデバー・メイト」の指導など、幅広い層を指導。2023年、卓球Tリーグ金沢ポートを運営する金沢ポート株式会社の代表に就任。
2022年12月、金沢市を本拠地とする卓球Tリーグの男子チーム「金沢ポート」の発足が発表されました。2023-2024シーズンよりTリーグに参戦し、全6チームで日本一を競います。運営会社の金沢ポート株式会社の代表には、遊学館高校、北陸大学の卓球部でプレーし、現在は金沢市内の卓球専門店、清水スポーツの代表を務める西東輝氏が就任しました。
「卓球一筋」と言って憚らない西東氏の卓球人生に、北陸大学はどのような影響を与えたのか。今後の展望も含めてうかがいました。
金沢ポートの設立、おめでとうございます。来季からTリーグ参戦ということで多忙な日々を過ごしていらっしゃるのではないでしょうか。
ありがとうございます。日頃から密に仕事をしていた卓球専門メディアRallys社から「金沢で立ち上げたい」という話があったのが、2022年10月の下旬です。温かい応援の言葉、激励の言葉をいただいています。
卓球Tリーグ男子チーム
「金沢ポート」を牽引
学生時代はトップレベルのプレイヤーとして活動し、現在はスポーツ専門店の経営を担いつつ、幅広い層に卓球を指導しています。西東さんが歩んできた卓球人生を教えてください。
両親が卓球スクールを運営しており、二人の姉も卓球をしていたので、僕自身も物心がついたころから当たり前のようにラケットを握っていました。地元の北海道で過ごしたのは小学校時代までで、中学は卓球の強豪校として知られる東京の実践学園中学校に進み、全国中体連 団体準優勝などの成績を残しました。高校は金沢の遊学館高等学校へ。ちょうど全国レベルで頭角を現しつつあったタイミングで卓球部に入部し、インターハイ第3位などの成績を収めました。
卓球一色ですね。
そうですね。ただ、卓球を続ける上で勉強をおろそかにしないということが、母親との約束でした。練習と勉強を両立するために、とにかく授業に集中して知識を頭の中にインプットしました。その分予習・復習はせず、練習に時間を充てます。成績は中学・高校とずっとクラスで一番だったんですよ。

卓球は記憶力がものを言うスポーツです。こういうサーブが効果的とか、こうすると相手はこう返してくるとか、記憶の積み重ねが勝負を決めます。 けしてスポーツ万能ではない自分が全国で少しだけ実績を出せたのは、勉強を通じて記憶力が鍛えられたからだと思っています。(自分が実績を出せたかどうかは懐疑的。Tリーグは日本代表の集まりなので自分は実績を出せていない方の分類)
遊学館を卒業後、東京の大学に進学しましたが、その後北陸大学に転入しました。その経緯を教えてください。
プロ選手を目指し東京の大学に進学したのですが、大きな挫折感から自分を見失って大学を退学し、しばらく実家で休養しました。というか、くすぶっていたんです。

そんなときに声をかけてくれたのが北陸大学卓球部の木村信太監督でした。これは強調したいのですが、自分は木村監督に拾ってもらって、北陸大学で新しいスタートを切ることができました。当時の卓球部は全国的には無名に近かったんですが、チームメイトと一緒になって頑張る楽しさを知り、ダブルスでインカレ個人の部3位の結果も出しました。
高いレベルで文武両道を実践
中高時代と同じように、勉学も手を抜かなかった?
北陸大学には充実した学びの施設があり、すばらしい先生方がいます。学生が学びたいと思えばいくらでも学べる場所です。

僕自身は体育館に通うだけでなく、図書館にも足繫く通いましたし、学内恒例の読書感想文コンクールで最優秀賞を受賞したこともあります。国語と英語の教員免許も取りました。

これは北陸大学で学ぶ後輩に伝えたい部分なのですが、日々を漫然と過ごすのではなく、恵まれた環境をぜひ自分の成長に結びつけてほしいと思います。
指導者になるという思いを持ち始めたのはいつ頃なんでしょうか。
中学時代の恩師の影響が大きいですね。漠然とではありますが、当時から将来は指導者になりたいと考えていました。実際そこからは、「こういう指導をすると、選手はこういうふうに成長する」というように、自分をいわば実験台のようにして、客観的な視点で「指導」というものを捉えるようになりました。
そうした面で、北陸大学卓球部の木村監督からはどんなことを学んだのでしょうか。
僕は人から良く真面目過ぎという評価を受けます。完璧主義なところがあり、自分にも他者にも厳しいんです。木村監督はそうではなく、寛容で許す力があります。「人も、自分も許す」という指導は、多様な選手の力を伸ばしていく可能性があります。自分もその一人ですが、監督と出会ったことで卓球人生が変わり、感謝している部員は少なくないと思います。
「地域に愛されるチーム」の強さ
北陸大学卓球部は大学の卓球部には珍しく、複数のスポンサー企業がついています。
その背景には、強化して結果を出す一方で、清掃などさまざまなボランティア活動を行って地域の企業や住民と交流を深め、地域で応援してもらえるチームづくりをするという、地道な努力があります。

卓球部は今でこそ、薬学部の体育館を全面使って練習ができますし、ボールも最高級品を使っています。でも初代のメンバーの時代は市営体育館を借りて練習することもありましたし、ボールは安価なものしか使えませんでした。今の部員にはぜひ、先輩や監督の努力を理解し、「じゃあ、自分たちは次の世代に何を残していけるか」ということを考えてほしいと思います。初代メンバーからの悲願でもある「専用卓球場の設立」に向けてOBも精力的に活動しています。名だたる大学の中から、直近のインカレでは昨年ベスト4の大学を倒してベスト16入り。後輩たちの活躍を誇らしく思うのと同時に、更に良い環境が整い北信越から全国大会上位常連校を目指してほしいと思います。
西東さんは清水スポーツの経営者としての顔もお持ちです。
創業者である現在の清水会長が店の継続に迷っているという話を聞き、24時間卓球のことだけ考えられる仕事ができればこんな幸せなことはないと、入社を希望しました。

最初の2年は物販に奔走しました。価格だけではネット通販にかないませんから、付加価値として講習や練習会に力を入れました。日中は地域の中学校をまわって部活の相談に乗り、店舗に戻った後は併設の卓球場で小中学生向けの卓球クラブ「エンデバー・メイト」のコーチをします。この他、石川県卓球連盟の理事として公式大会の運営にも携わります。石川の卓球人口は4000人と言われていますが、その半分の2000人とつながることができました。

入社3年目からは役員として経営も担うようになりました。数字を見たり、PCに向き合ったりといった仕事の経験がなかった自分にとっては正直、厳しい時期が続きました。それを乗り越えた今は、経営が分かる指導者になり、トップ選手が勝つための指導も、卓球の楽しさを伝えるための指導もできる人間に成長していけるよう日々精進しています。
卓球で石川を元気に
24時間卓球のことだけ考える、ということは同じでも、また別の角度から卓球を見ることができるようになったのですね。
自分がそれまで知っていたのは、日本一を目指す卓球でした。しかし、そうではなく、生涯スポーツとしての卓球もあり、どちらも卓球の魅力であるということを実感しました。日本の卓球界は、一握りのトップ選手が担っているのではなく、地域でのすそ野の広がりがあってこそ成り立っています。でなければTリーグも成り立ちません。
高校、大学、仕事、そしてTリーグ。石川との縁がどんどん濃くなっています。今後の展望について教えてください。
西東と書いて「さいとう」と読む姓は、石川がルーツだそうです。なので僕がここにいるのは自然なことなのかもしれません(笑)。

Tリーグのチームを預かるということは、以前の自分には無理で、「清水スポーツの西東輝」として経験を積んだからこそ、チャレンジできることだと思っています。お世話になった方、応援してくれる方への感謝の気持ちを忘れずに、金沢ポートを地域に愛されるチーム、日本一に輝くチームに育てます。そしてその先に、卓球を通じて石川県を盛り上げていきたいと思っています。
(2023年2月27日取材)