北陸大学同窓会 ロングインタビュー

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自分で人生の目標(山)を決め、
工夫しながら積極的に
諦めずに歩み続ける
国立研究開発法人
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
研究開発部門 第一研究ユニット 主任研究開発員
(1994年 外国語学部英米語学科卒)
向井 達也
自分で
人生の目標(山)を決め、
工夫しながら積極的に
諦めずに歩み続ける
国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
研究開発部門 第一研究ユニット 主任研究開発員
(1994年 外国語学部英米語学科卒)
向井 達也
大阪府出身。大阪府の工業高校を卒業後、母方の故郷の金沢で外国語を学ぶため北陸大学外国語学部(現:国際コミュニケーション学部の前身)に入学。英語及びドイツ語を学習し、1994年に北陸大学を卒業。その後、第1級総合無線通信士及び第1級陸上無線技術士等の電気通信技術に関する資格を理系専門学校で取得し、卒業。1998年、宇宙開発事業団(NASDA)に入職。
(宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団(NASDA)の3機関が統合して、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)として発足、更に2015年4月には、国立研究開発法人となる。)
工業高校から北陸大学の外国語学部へ。外国語と電気通信技術を活かして就職するために理系専門学校に入学。その後、宇宙開発事業団(NASDA)に入り、理系大学院等を経てドイツ留学。今に至るまで宇宙の研究開発等に長く携わっている向井達也氏に、大学時代の思い出とJAXAでの仕事、今後の目標についてお訊きしました。
向井さんが現在携わられている仕事内容を教えてください。
衛星や探査機が宇宙で観測したデータ等を、地上に高速かつ大量に送るための宇宙光通信技術の研究開発に携わっています。私が扱っているのはレーザーで、目に見えない光を使って地球に観測データ等を送り届けることなんですが、そこでは宇宙と地上の間にある地球大気等が観測データ等を送り届ける光通信を邪魔するんですね。そこを補償し地上に観測データ等を送る技術がまだ確立できておらず、研究開発を続けています。研究開発部門に所属になったのは2015年ですが、2011年からの1年間のドイツ留学(ドイツ航空宇宙センター)を経て帰国した2012年頃から今の研究に携わらせてもらっています。
お仕事の中で、特に力を入れていらっしゃることはありますか?
宇宙と地上を光通信で繋ぐ際、地球大気も影響しますが、雲があると通信が成立しません。このため、宇宙機と光地上局を繋ぐ光通信の方向の雲を観察しながら、雲が極力存在しない通信条件の良い光地上局を分散させた複数局の中から探し当て接続を切り替えながら宇宙と地上間の光通信サービスを実現することに着目しその技術の研究開発に注力しています。宇宙と地上間の通信は、宇宙機が広い宇宙空間を移動しながら地上とコンタクトするため、地上の広い空間を活用し、光地上局を分散配置し、天候に応じて日本国内に限らず、オーストラリアの晴れている場所を選択して光地上局を切り替える分散ネットワークとなります。
昔から宇宙に興味があったのでしょうか。
いいえ、特に宇宙に対して強い興味関心があったわけではありません。私は工業高校では建築を学び、北陸大学の外国語学部では英語やドイツ語を学んだのですが語学だけでなく技術を組み合わせた就職を希望し、語学×技術の二刀流で就職できないかと考え始めました。
工業高校から故郷の金沢で
語学を学ぶため、
北陸大学へ
卒業した工業高校は大阪では歴史が深く機械科、電気科、建築科、土木科、デザイン科があり、就職率の高い学校でした。高校時代は野球部に所属し、全学科の先輩後輩で構成されたチームで活動していました。大学卒業後、就職の時期を迎え、高校の部活の人脈で相談したところ、電気科出身の先輩より「語学を活かした技術職を希望するなら、国家資格により語学×技術の組み合わせができる電気系の特に電気通信技術の分野に進んだらどうか」とのアドバイスを受けました。しかし、大学卒業後に資格取得のため大学にさらに行くのは経済的に厳しく悩みましたが、先輩から「名古屋にある理系の専門学校で国家資格を取れば語学も必要な電気通信の仕事に就ける」と教えてもらい、その理系の専門学校に進学しました。

このため、本当の意味で就職活動を始めたのは理系の専門学校で3年間学んで電気通信の国家資格を取得した26歳の時になります。語学と電気通信技術を活かせる仕事と考え、海上保安庁、海上自衛隊、船舶通信士等といった就職先を視野に入れて就職活動を始め、その中の1つがNASDA、現在のJAXAでした。

私は大阪出身で、当時の関西地方では宇宙の仕事はあまり知られていなかったと思います。電気通信技術を活用する仕事と言えば、陸、海、空というイメージでしたから、まさか宇宙に仕事があるなんて思ってもいませんでした。実際には、宇宙機と通信するための地上局のアンテナを使うため電気通信技術が活かせます。

宇宙の仕事を特別に熱望していたわけではありませんでした。視野を狭く限定してどこかに強い気持ちを持つと、それが叶わない時に落ち込むことになります。このため、できるだけ視野を広く限定せず、平等な気持ちで語学×技術の組み合わせが使える仕事を考えて就職試験を受けていました。
先ほど、工業高校から北陸大学の外国語学部に進まれたとのお話でした。どういった理由で進学されたのでしょうか。
母方の故郷が金沢の粟崎町で、小さいころから大阪と金沢を行き来していたんです。叔父が県庁に勤め、日本の江戸時代から続く海運事業であった北前船の金沢で有名な木谷家の文化財を受け継ぎ、それが県の指定文化財に指定されたりなんてご縁もあって、大阪育ちではあるものの、金沢にはいろいろな思い出がありました。高校では建築を勉強していましたが、英語が好きになり母方の故郷の金沢で外国語を勉強しようと思っていたため、金沢にある北陸大学に進学したというのが経緯です。
大学生活はいかがでしたか。
入学後の2年間は勉強に大変苦労しました。高校時代は工業高校で建築を学んでいましたから、外国語学部の語学の勉強とは全く異なっていました。2年間は寝る暇もなく勉強していましたが、準硬式野球部に所属していたため、スポーツと勉強の両立をしながら過ごした4年間でもありました。

大学時代の思い出は海外ですね。2年時に短期留学でハワイの姉妹校に行き、帰国後、夏休みを利用し、第2外国語のドイツ語を学ぶために大阪の学校に行きました。3年時は、同じ姉妹校を再訪問し英語学習を進め、ドイツ語も語学専門学校や先生の紹介で金沢大学文学部のドイツ語クラスを訪問し、語学のブラッシュアップに継続して励んだ4年間でした。

それ以外でも、当時の先生方には大変お世話になりました。アルバイトでお金を貯め、ドイツ語のブラッシュアップのためバックパッカーとしてドイツ語圏を放浪した時は、ドイツ人の先生の親戚の家にホームステイさせていただいたり、ドイツ学術振興会の留学生募集の申請手続き等をしていただいたりしたこともあります。いろいろなことにお力添えをいただきました。
非常に熱心で精力的な学生さんだったのですね。何か目標がおありだったのでしょうか。
何となく物事を進めるのではなく、将来の未来像、目標、目的を自分で定め、工夫しながら積極的に最後まで諦めずに粘り強く進めることは当時から意識していました。もちろん、思い通りにいかないことがたくさんありますし、挫折を感じることも何度もありましたが、周りの助けや励ましを自分なりに解釈し、前向きに持っていこうと考えてきたように思います。あとは地道に継続することですね。これは今も変わりません。

当時の目標は、「語学を使えるようになりたい」。3年生頃から成績が伸び始めました。大学時代は、4年間という時間と空間をいかに自分なりに工夫し、思い描いている目標に進んでいくかという時期だったのだと思います。
異文化の人たちとの
コミュニケーションが
仕事の鍵
向井さんから見たJAXAの印象についてお話しいただけますか。
私は技術職の人間ですが、実際には事務的な仕事をすることもありますし、交渉事をすることもありました。これはどこに行っても同じだとは思いますが、一人ではなくチームで仕事をするため、やはり周りと協働する必要があります。

宇宙の仕事は、技術系と事務系の仕事をすべて含めた総体だと捉えています。実際、JAXAには、技術系では必ずしも航空宇宙を勉強された方だけではなく、他の工学分野(機械系、電気系等)、理学分野を勉強された方もたくさんいます。また、事務系では、語学、法務、経済等、人文社会科学系を勉強された方もたくさんいます。そうした人が集まり、1つの目標に向かって一丸となって取り組んでいるのがJAXAですね。

また、宇宙ということもあって、やはりスケールは大きいです。米航空宇宙局(NASA)や欧州宇宙機関(ESA)など、海外の宇宙機関ともさまざまな計画において協力して仕事をします。また、国連やJICA等と連携し、東南アジアの国々に衛星を利用した地球観測や通信等の技術協力を進めています。私の場合は、政府より辞令を受け、国連の国際電気通信連合(International Telecommunication Union)に複数回行き、無線通信の世界会議(World Radio Conference)等に日本代表団の一員として参加させていただき、電波通信の法務的な仕事や、それに基づく衛星ネットワークの運用調整を長く経験させていただいたこともあります。
お仕事の中で、どういった点が大変ですか?
仕事を進めるうえで大変なのはコミュニケーションですね。JAXAだけではなく、宇宙開発を一緒に進める企業等、大学の先生や学生とも仕事をすることもあります。NASAやESA等の海外の人たちと仕事をすることもあります。文化が違うこともあり、同じ目標や目的をもって協働していても意見はさまざまです。それらの意見に耳を傾け、皆が合意できる落としどころをコミュニケーションで探り、提案していく必要があります。その時、相手の立場に立って考え、提案し合意できる点を見つける。そこの苦労がすごくあります。
どのようにそのスキルを身に付けられていったのでしょうか。
中学、高校、大学と10年間続けてきた野球というチームスポーツで培った側面もあると思います。語学学習で海外に放浪に出かけたときには、コミュニケーション相手から考えを引き出すような会話の仕方に工夫を加えて常に自分なりに朝から晩まで取り組んでいました。

例えば、毎日いろんなケースを想定し相手に質問を投げかけ、相手の頭から答えを導き出すような工夫です。そこでは、想像、描写、表現等を試すことができ、自分が投げかけた表現方法が通じるかそうでないか正しくはどうかなど、自分の日々の工夫次第で勉強になります。こうしていると、どうアプローチしたらどんな言葉が返ってくるのか、少しずつイメージできるようになっていくんです。

そうすると、今度は相手が発する言葉や表情等からその気持ちをできるだけ自分なりに読み、どうすれば相手を納得させられるかということも考えられるようになる。それは仕事でも役立っていると思います。
会議がスムーズにまとまったときにやりがいを感じられるのでしょうか。
スムーズにまとまる会議は少ないかもしれません。紳士的に対応しながら、こうしたら上手くいくかなと毎回考えては実践することの繰り返しです。ただ、宇宙開発にもロケット等、必ず期日がありますから、どうにかそこに間に合わせなければならない仕事ではあります。

やりがいを感じられるのは、ロケットの打ち上げまでに宇宙空間での運用を想定し、地上で十分に試験を実施した上で、宇宙機が宇宙空間に予定通り軌道に投入されたときですね。しかし、ロケットが打ち上がって宇宙機が軌道に投入されても仕事は終わりではありません。地上に用意した地上局のアンテナを使って宇宙機と通信をし、全ての機能を確認し、その宇宙機のミッションを最後まで達成するまでは気が抜けません。どの段階でも分野の異なる人が数多く協働して仕事をしています。
印象に残っている仕事は何ですか?
JAXA(日本)とESA(欧州)との国際協力により成功した光衛星間通信実験になります。ここでは、宇宙機間の光衛星間通信だけではなく、データを宇宙と地上間で送受信する国際ネットワークを構築しました。私は、この実験のために必要なJAXA(筑波)とESA(ベルギー)間の地上ネットワークや地上局の構築のため、ESAを含め日欧の企業等の数多くのエンジニアと共にその仕事に従事しました。

光衛星間通信の実験は成功し、現在の私の光通信の研究開発にもその経験は活かされています。当時は日本とベルギーを何度も往復し、時には、ESA光地上局があるスペイン領テネリフェ島まで光衛星間通信実験の国際会議に出かけたり、一番長く欧州の人たちと協働したりした仕事で非常に印象深いです。
上画像/「OICETS実験構想図」 ©JAXA
下画像/「アルテミス対向(データ通信)」 ©JAXA
期間は3年間ではありますが、小惑星探査機はやぶさ2の地上システム開発の仕事も印象に残っています。打ち上げ前試験のため、国内に加えて、カリフォルニアにあるNASAのジェット推進研究所(JPL)を訪問して、探査機と米国の地上局との地上試験の対応を日米で協働して対応しました。勤続20数年の内、近地球という地球周辺の軌道をフライトする宇宙機を対象とした地上系の仕事が多く、深宇宙という何十億キロというとてつもない距離をフライトする小惑星探査機はやぶさ2の仕事は、これまでの経験とは対応の次元が全く異なりました。どちらの経験も私の仕事の軸になっています。
左画像/「64mパラボラアンテナ(冬季)」 ©JAXA
右画像/「はやぶさ2 スイングバイ」 ©池下章裕
今の向井さんの目標は何ですか?
これまで経験した光通信や電波通信の開発や運用業務を踏まえ、ドイツ留学以来、進めてきた宇宙と地上間の光通信技術に関する技術を検証し、近い将来、それらを社会に残し継承することです。研究開発でも企業や大学等、産学官で連携を進めています。野球と同様、始めた試合はいつか終わらせなければなりません。しっかり形にして残したいと考えています。
自分で人生の目標(山)を
決め、
自らの積極的な
行動力で着実に前へ
歩んでほしい
最後に、北陸大学の後輩へメッセージをお願いします。
私の学生時代と比べると、今は新幹線も通っており、たくさんの情報を入手できる環境にあると思います。しかし、情報は待つだけではやってこないと思います。教科書やインターネット上でもたくさんの情報は入手できますが、本当にその情報が正しいかは自分で確かめるまで分かりません。

自分の未来像、目標、目的を持ち、粘り強く積極的に進めていきながら自らの足を運び情報を獲得し、目・耳等で確かめる行動力が大切だと思います。目指す分野の人を探し、直接話を聞きに行くのもいいでしょう。私の場合は、部活やアルバイト先を通じて、先輩や他大学の人と繋がり、いろいろと教えてもらいました。やはり大切なのは人との出会いだと思います。自分の人生の目標(山)をどこから登るのかはその人の自由だと思います。時間がかかっても最後に到達できればいいのです。ただ、決められた時間はそれぞれにありますから、それを頭に置きながら着実に粘り強く、積極的に前に歩み続けてほしいと思います。
(2022年9月5日取材)