北陸大学同窓会 ロングインタビュー

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人生最期の時間まで、
「ふれあい」で
その人らしい人生を応援する
株式会社フレアス
代表取締役社長CEO
澤登 拓
人生最期の時間まで、
「ふれあい」で
その人らしい人生を応援する
株式会社フレアス 代表取締役社長CEO
澤登 拓
山梨県南巨摩郡出身。北陸大学外国語学部で中国語を学び、在学中の1991年から北京師範大学を経て、北京中医薬大学に留学し東洋医学を学ぶ。1993年に北陸大学卒業後、1999年東海医療学園専門学校卒業。あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師資格取得。同年東洋医学会館入社。
2000年ふれあい在宅マッサージ開業。2002年ふれあい在宅マッサージ(現フレアス)を設立し、代表取締役社長に就任。2013年東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科修士課程医師理工保健学専攻(医療管理学コース)修了。2015年やまなし大使。2019年には東京証券取引所マザーズへの上場を果たす。
北陸大学在学中に中国で漢方治療に出会い、身体の不調が治った経験から訪問マッサージ事業の株式会社フレアスを創業。2019年に東証マザーズ上場を果たし、急成長を続ける同社代表取締役社長CEOの澤登拓氏に、大学時代の思い出とビジネスの着想、これからのビジョンについてお訊きしました。
株式会社フレアスは、2019年にマザーズに上場し、現在急成長を続けていますね。事業内容を教えてください。
株式会社フレアスは、2000年に創業した会社です。フレアスというのは、「ふれあいで明日をひらく」という意味の造語です。主に在宅療養されている高齢者の方や障害児の方、老人ホームなどの施設にマッサージ師や看護師、理学療法士が訪問して在宅でサービスを提供しています。
今、全国にどのくらい展開されているのですか。
直営店とフランチャイズ(FC)を併せて350拠点ほど展開しています。上場以降はFCが急速に伸びました。
それほど急成長できた秘訣は何でしょうか。
一つ目は時流に合ったということですね。創業した2000年は介護保険がスタートした年でした。ですが、サービスは何もなく、ブルーオーシャン状態。何もサービスがなかったところにいち早く参入したスピードですね。運が良かったのだと思います。
もう一つは、ビジョンがあったということです。最初は、山梨の実家の応接間からスタートしたのですが、ビジョンがあったので紆余曲折しながらも信念を持って成長し続けることができました。
病弱だった少年時代。
北陸大学への入学が
大きな転機に
起業の経緯から教えていただけますか。
僕は子どもの頃身体がとても弱かったんです。小学生で十二指腸潰瘍を患いました。痩せていて、消極的で、図書館で本ばかり読んでいるような子どもでした。本の世界は自由で安全でしたね(笑)。人と関わることも苦手で、人見知りの繊細な子どもでした。十二指腸潰瘍になっていたことが2年間もわからず、中学生になったある日、ついに胃に穴が空き、手術をすることになったんです。手術をしたことで痛みは治りましたが、相変わらず調子は悪く、ひ弱で、いじめにも遭いました。
高校生になると今度は自我が芽生えて、学校にはほとんど行きませんでした。荒れていましたね。尾崎豊の曲が流行った時代です(笑)。出席日数が足りなかったものですから卒業も危うく、進学もできず、就職もできずで1年間ニートをしていました。そんなある日、高校の担任の先生が家に訪ねて来て、「推薦で北陸大学を受験しろ」と言うわけです。
祖父が中国語の先生だったのですが、北陸大学なら中国語学科があるし、中国語なら馴染みがあるなと思いました。それで縁もゆかりもない金沢の北陸大学の推薦入試を受けたのですが、落ちました(笑)。でも、そこでめげずに一般入試で合格し、金沢での慣れない一人暮らしが始まりました。
当時住んでいたのは、小立野の天徳院近くの大正12年築のボロボロの一軒家です。その家の応接間を1万9千円で借りました。4部屋を別々の人が借りていて、上は美大生が住んでいました。風呂は共同だったので、近くの石引温泉に行きました。引っ込み思案な性格でしたから友達ができず、不健康な食生活がたたって過食症になってしまいました。寂しかったですね。10代はお腹が痛かったし、20代は過食症だし、生きにくかったです。
中国での
漢方治療との出会いから
ビジネスを着想
転機が訪れたのは、北京大学への短期留学です。全員で1カ月滞在しました。楽しい時間でした。当時の中国は今のような経済発展をする前でしたから、日本人というだけでちやほやされて、すっかり勘違いしてしまいました。それで中国の魅力にすっかりはまり、また行きたくなりました。
中国語も結構得意でしたので、二度目の留学は1年間の長期留学です。せっかく中国に来たからには語学の勉強だけでなく、日本ではどうしても治らなかった身体の不調を治したい。漢方を試してみたい、と思い、北陸大学の姉妹校だった北京中医薬大学を紹介してもらい、そこで処方された漢方薬を飲み始めたら急に体調が良くなったんです。それまであんなに胃が痛かったのに。その先生は、中国の百名医の一人だったのですが、有名な気功の先生も紹介してくださり、一週間気功の施術も受けました。最後には、臍からピンク色の水が出てきて驚きました。まさに身体の中から悪いものが出たという感じで、翌朝から身体が火照るようにぽかぽかと温かく快調になりました。
体調が良くなると、気持ちも前向きになります。この技術を日本に持ち帰り、自分のように不調を抱える人たちに届けたいと考えるようになりました。
人生が変わった瞬間ですね。
そこから利他の考え方になりましたね。初めて人の役に立ちたいと強く思いました。日本に帰って東洋医学に関わりたいと思っていたのですが、日本で東洋医学というと入り口は鍼灸マッサージです。それで熱海の専門学校に入り、鍼灸マッサージ師の国家資格を取りました。
待つより、出向く。
訪問治療でビジネスを拡大
鍼灸マッサージ師は中国ではドクターとして認められていますが、日本では地位が低く、最初に勤めた治療院の初任給10万円でした。正社員になってようやく月給13万円です。年収300万円を超えられない世界だと言われていました。何か良い方法がないだろうかと考えた時に、患者さんを待つのではなく、自分から患者さんを訪ねる訪問診療をしたほうが良いのではないかと思い、実家の応接間を拠点に起業しました。
最初は手書きのチラシを作って配りました。身体の痺れで夜も眠れなかった方に、「あなたが来てくれて眠れるようになった」と涙を流して喜ばれました。しかも健康保険が使えるので、治療費も数百円で済みます。初めて国家資格を取得して良かったと思いました。
利用者さんに喜ばれ、自分の生活も安定するなんて、こんなに良いことはないと実感しました。寝返りが打てるようになることは利用者さんだけでなく、介護をする方にとっての幸せにもつながります。それまでおむつをしていた方がベッドサイドのポータブルトイレが使えるようになったと喜んでもらえるのです。それで、やればやるほど夢中になりました。
全国の寝たきりの人の
自信や輝きを
取り戻すために
ただ、一方で残念な話もありました。「どうしてもっと早く来てくれなかったの?ずっと痛い思いをしていたのに。もっと早く来てくれたら良かったのに。痛い痛いと言って亡くなった夫にもマッサージを受けさせてあげたかった」と言われると、自分が悪いわけではないのですが、申し訳ない気持ちになりました。そこで、二度とこのようなことを言われないように、このサービスを日本全国に広めようとビジョンを建てたのです。
当たり前に受けられるサービスにしようと思われたのですね。
そうなんです。日本全国に介護難民を出さない!と心に決めました。寝たきりの人をみると10代の頃の自分と重なるからです。でも、マッサージを受けていただくと寝返りが打てるようになったりして、ちょっとしたことで生活が変わります。僕も漢方で元気になった経験があるので、人というのはちょっとした支援で自信や輝きを取り戻せるのだと実感しました。それを毎回目の当たりにすると何より僕自身が嬉しく、昔の自分が救われたような気持ちになりました。その経験が僕のビジョンとなり、エンジンになっています。
業界の常識を覆し、
新たな価値を生み出す
ビジネスモデル
澤登さんのビジネスは、これまで年収300万円で鍼灸マッサージ師として働いていた方々の生活も変えましたね。
年収300万円の壁は、フレアスに新卒で入社すれば一気に超えられます。当社はおそらく上場企業では最も障害者雇用率が高い会社だと思います。社員の27.3%が障害者です。(2021年7月1日現在)彼らは盲学校を卒業して鍼灸マッサージの世界に入りますが、地方において視覚障害者のマッサージの仕事はあまり多くありません。でも、彼らが当社に入社すると、ドライバーを付けてドライバーと二人三脚で高齢者宅を訪問できます。年収300万円の壁を超え、結婚し、家も購入しています。
ドライバーはシルバー人材の方が多いのですが、彼らも「人の役に立ちたい」という想いが強く、目の見えない人と寝たきりの人の両者に役立つ仕事ができています。社会的弱者とされる人たちがチームになって動くことで大きな価値を生み出すことができるのです。
給与体系や社会保障をしっかりするのは当然のことですが、私たちの特長は教育にあります。鍼灸マッサージ師は、国家資格にも関わらず実技試験がなく、徒弟制度の世界なので、体系的に学べる教育システムを構築しました。入社後の新人研修だけでなく継続教育にもなるように、全社員にタブレットを配り、e-ラーニングを始めました。いつ、どこで、誰が、どのくらい学んだのかがわかるシステムで、80人の指導者が110項目にわたってスキルチェックを行っています。これによって、クオリティコントロールができるわけです。
アルバイトが楽しかった
学生時代。
卒業後は専門学校へ
北陸大学に入学して、さまざまな出会いがなければ今のビジネスには至らなかったわけですよね。
そうですね。何をやっていたんだろうなぁ(笑)。
一般企業への就職は一度もされていないのですか。
そうですね。北陸大学を卒業した後、僕は片町に就職しました(笑)。中国留学から帰った後、鍼灸マッサージの専門学校に入る学費を貯めるために、片町のバーでアルバイトをしたんです。それがとても楽しかったですね(笑)。
周りの同級生が就職活動をしていても気にならなかったのですか。
全然。変わっているかもしれませんね。アルバイトも楽しかったですからね。
その後は熱海で3年間の専門学校生活、そして起業ですね。
そうです。最初に勤めた鍼灸院は1年で辞めて、その後起業です。弟もこき使いながらですけどね。始めて1年ほどで山梨県中に拠点ができました。こう見えてゴッドハンドで、評判になりましてね。あっという間に県内を網羅することができました。その後、福岡、沖縄、金沢…と出店を続けました。13店舗まで自分で立ち上げましたが、その後は組織で出店チームをつくり、スピードを上げていきました。
僕は、リーダー経験もマネジメント経験もなく、ビジョンだけで引っ張ってきた感じです。上場したことで新たに入ってくれた役員たちが僕のビジョンをさらに太くしてくれました。
人生の学びをつなげ、
自らの選択を正しかったと
言えるように
事業のすべてが幸せな人生、幸せな社会の実現へとつながっていますね。
このビジネス自体が、僕自身の人生からつながっています。将来、中国に行けば北陸大学で学んだ中国語も役立ちますよね。いろいろなことに意味がありますね。
その意味を自分で見つけられるかどうかという見方もありますね。
素晴らしい。何が正しい選択かなんて最初からわかりません。でも、自分の選択や決断が正しかったと言える生き方をしていきたいと思いますね。
今日はありがとうございました。
(2021年12月24日取材)