北陸大学教養別館「林鐘庵」

北陸大学教養別館「林鐘庵」

  • 北陸大学教養別館「林鐘庵」
  • 兼六園の東、小立野大地にある「林鐘庵」は、
  • 本学創設者、林屋亀次郎の旧邸宅です。
  • この地は藩政期、与力の武家地でした。
  • 屋敷は明治期に医師の邸宅となり、
  • 昭和に入って林屋が取得し
  • 茶室と庭園を整えました。
  • 林家宅を訪れた日本画の巨匠、横山大観氏は
  • 旧暦六月の異称である「林鐘」を
  • 茶室と庭園の名に冠しました。
  • 「林鐘庵」の主ともいうべき名松が
  • 樹齢四百年の「五人扶待の松」です。
  • 本学はこの松を大学のシンボルとして、
  • また後世に継承すべき貴重な財産として、
  • 大切に維持管理しています。

北陸大学教養別館「林鐘庵」

兼六園の東、小立野大地にある「林鐘庵」は、 本学創設者、林屋亀次郎の旧邸宅です。 この地は藩政期、与力の武家地でした。 屋敷は明治期に医師の邸宅となり、 昭和に入って林屋が取得し 茶室と庭園を整えました。 林家宅を訪れた日本画の巨匠、横山大観氏は 旧暦六月の異称である「林鐘」を 茶室と庭園の名に冠しました。 「林鐘庵」の主ともいうべき名松が 樹齢四百年の「五人扶待の松」です。 本学はこの松を大学のシンボルとして、 また後世に継承すべき貴重な財産として、 大切に維持管理しています。

五人扶待の松
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名称の由来

名称の由来

名称の由来

林鐘庭の松は藩政期から広く知られていました。加賀藩十三代藩主前田斉泰公が、その見事な枝ぶりを見て城内への移植を所望したものの、あまりにも枝先が長く、沿道の家々を移動させる必要があるため断念したとのエピソードが残ります。斉泰公が「天下に得難い松である」として五人扶持を給して手厚い保護を命じたことから、今日の「五人扶持の松」の名があります。林屋邸時代も松の名声は高く、歴代首相や歌舞伎俳優など、各界の名士が鑑賞に訪れています。

樹齢

樹齢

樹齢

城下町が形成された頃に当地に住んでいた与力が盆栽を露地植えにしたものが、手厚い世話により大きく育ったとされ、樹齢は四百年余りと推定されます。老木でありながら今もなお毎年、東西南北にそれぞれ二~三センチずつ伸びており、生命力の強さを感じさせます。昭和五十六年には金沢市の保存樹木に指定されました。

樹形

樹形

樹形

松はいわゆる女松(アカマツ)で、幹は三本に分かれています。高さ七メートル、枝張は南北二十五メートル、東西二十三メートル、かさの下は約百坪にもおよび、崖下の天神町からも大きく張り出した枝を望むことができます。枝ぶりはリズミカルな階層をなし、凛として立つ姿は風雅な中にも威厳を備え、見る人を飽きさせません。

冬の風景

冬の風景

冬の風景

金沢の重く湿った雪から松を守るため、庭師が毎年十一月頃に「雪吊り」を施し、雪が積もれば枝の「雪落とし」を行います。竹の支柱から円錐状に広がる雪吊りの縄は美しい幾何学模様を生み出し、松の美しさを際立たせます。

灯籠

四方佛灯籠

四方佛灯籠

四方佛灯籠

江戸城を築城した太田道灌の菩提寺に伝来したもので、寄せ植えの松の根元に立ちます。火袋・中台が一石で、四隅に両手を合わせた地蔵が彫られており、老禅師のごとき風情が感じられます。

宗和好み灯籠

宗和好み灯籠

宗和好み灯籠

加賀藩の筆頭家老・本多家の屋敷に造られた松風閣庭園伝来の灯籠です。飛騨高山城主の長男で宗和流茶道の開祖として知られる金森宗和が、茶道指南のため本多家を訪れたおり最も好んだ灯籠とされ、この名があります。武士が股を広げて刀を構えたような姿が特徴的で、台石の左右に錫杖を持った地蔵が見事な浮彫りで刻まれています。

小町灯籠

小町灯籠

小町灯籠

江戸後期まで京都の補陀洛寺(通称:小町寺)にあったもので、銘文はありませんが鎌倉末期の傑出した石灯籠です。高さは三メートル余り、八角の基礎、竿、中台、火袋、傘がすべて無傷で揃っています。火袋には四天王立像が刻出されています。

織部燈籠

織部燈籠

織部燈籠

キリシタン大名・高山右近は、前田家に招かれ二十六年の年月を加賀藩で過ごしました。右近の影響で加賀・能登でキリスト教の布教が進みましたが、その後の弾圧でほとんどが隠れキリシタンとなりました。この灯籠にはキリスト像が刻まれ、キリシタン灯籠とも呼ばれています。

東大寺灯籠

東大寺灯籠

東大寺灯籠

火袋の左の「東大寺」、右の「大佛殿」の刻字が示すとおり、東大寺・大仏殿ゆかりの灯籠です。三井家伝来で、火袋が大きい独特の様式です。

次の間中露地
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大つくばい

次の間中露地

次の間中露地

次の間中露地

林鐘庵は明治四十四年築の建物で、雪国の風土から軒が深く、軒内の土縁には一面に苔を敷き込んでいます。次の間の露地には正面に春日型灯籠、右手前に富士型の手水鉢を配し、飛石が苔むした土縁から主庭へとつながります。

大つくばい

大つくばい

大つくばい

銘は「岩船」、富山県選出の元衆院議長・綿貫民輔氏の岳父、故綿貫佐民氏(衆議院議員)から寄贈されたつくばいです。木曽川の上流中津川流域の石で、長い月日をかけてできた甌穴を利用しています。重さは約七トンといわれ、庭に重量感と落ち着きを与えています。

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